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手織適塾さをり広島通信は、”手本はいらない、自分の思い通りに織ればよい”をモットーに城みさをが創り出した好きに好きに織ることで最高に自分の感性を引き出す手織り「さをり織り」の最新情報を発信しています。twitterでもブログの更新をお伝えしています→http://p.tl/B03i
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2009年05月23日 (土) | 編集 |
第2回めのピースファーラムに参加しました。


前半は御堂義之さんの被爆体験証言。
どうして広島・長崎に原爆が落ちたのかというお話の後、ご自身の体験を聞かせてくださいました。
御堂さんは10歳になる少し前に爆心地から1500mの日赤あたりで被爆されたのですが、壁の陰にいたおかげで大ケガはまぬがれたそうです。お兄さんは全身やけど。背中にわいたウジを御堂さんが箸で取ってあげたそうです。お母さんも被爆され、御堂さんの10歳の誕生日に亡くなってしまいます。
土橋に親戚があったのですが、爆風でつぶれた家の下敷きになったり、放射線の影響を受けたりで亡くなったそうです。

御堂さんはたった10歳で1人になってしまいました。原爆孤児です。

食べるものもなく、友だちのお弁当や畑の作物を盗んで食べたほか、学校を休んで大工の手伝いやお店の手伝いをして生活されたそうですが、差別を受けたりいろいろと辛い思いをされ、人間不信にもなったそうです。
原爆で、そのときの家が壊れたりケガをしたりの被害と、その後の生活に影響する被害、両方の被害で二重の地獄だったと話されました。

戦争を知らない世代の人もしっかり勉強して、自分と同じ気持ちで戦争のおろかさを伝えてほしい。小さなことからでもいいから。と最後におっしゃいました。


後半は、戦争を知らない世代・30代のアニメーション作家、前田稔さんの「太陽をなくした日」というアニメを見てお話を聞かせていただきました。
ご自身のお父さんやおじいちゃんおばあちゃんが被爆されているそうで、小さい頃から当時の話をよく聞かれていたそうです。

アニメは、原爆投下前の広島市民の日常生活を三篠町付近を舞台に子どもの目線で柔らかく描き、それが一瞬でなくなるところまでのストーリーでした。
作者の前田さんは、原爆投下前の町並みを描こうとしたときに、あまりの資料のなさに驚いたそうです。当時広島市に何人の人が暮らしていたかも正確にわからないほど、何もかも、本当に無くなってしまったんだ、と実感します。

前田さんの最後の言葉。
「大切なものを(子孫は)受け取れるはずだったのに(原爆のせいで)受け取れなくなったのではないかと思う」



ようこ。

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